第10話
「福の神」

大変ご無沙汰していました。ごめんなさい。
やっと名人戦第4局の観戦記も書き終わり(現在まだ掲載中)、一息ついたところです。

今回のシリーズはすべて同行しました。依田紀基新名人は、第1局、2局の前夜祭のスピーチでそこにいる誰かを「僕の福の神」にして、話していました。1局では加藤正夫九段。加藤先生が王本因坊に勝ったので、プレーオフに出られたというのが理由。2局は大竹英雄九段。大竹先生と韓国で話し、ご高説を賜ったときから強くなったからだそうですが、ふだんから依田名人は大竹先生には相撲に連れていってもらったり、お寿司をごちそうになったりとかわいがられているそうです。

第3局は前夜祭がありませんでしたので、「福の神」のご指名はなし。第4局はスピーチはありましたが、「福の神」関連ではなかった。依田さんはスピーチのこつをつかんだ、といっていました。「趙先生が反論しやすいようなことをいえばいいんだよね」

第1局から4局まで打ち掛けの夜はすべて、対局前夜もほとんと、私は依田さんとふたりで夕食をとりました。今回は結果的に「依田番記者」ということになりました。ちなみに「趙番記者」は第2局が松浦君でしたが、あとは明窓庵記者です。大勢いると対局者のほうが気を使う(だろうと思う)ので、「みんなと食事をしますか、それともどこかへ行かれますか」と毎回担当者が質問します。たいてい、ひっそりとお願いします、ということになります。依田さんとは10代からの友達だということは、朝日新聞の人も知っていて、「依田氏が気をつかわない人が一番なんだよ」といわれ、私の出番となりました。

オランダ、小倉では、ホテル内の日本料理店の個室で。小倉の対局前夜はロナルド・シュレンペルさんもいっしょの3人でした。京都では先斗町に行きました(私は初めて!)。高崎では街をぶらぶら歩いてみつけた地酒のお店に入りました。

食事中、最初のうちはその日打った碁が頭から離れないようで、フリーズしては「あ、いけない」と頭を振って、我に返るといった感じでした。「あの場面で封じ手はつらい」など話かけられることもあったのですが、私もその日の碁とはあんまり関係ない話をするようがんばりました。

「『この子は才能がある、すごい』と思うのは、どこでわかるの?」とか「内弟子のとき、掃除とかやったの?」とか。最初の質問には「山下くん(新碁聖)はすごいと思ったよ、小学2年でみたとき」「どこらへんが?」「うーん、年のわりにすごい手打っていたし、なんといってもツラだろう、顔だよね」。次の質問には「入段したら免除なので、ほとんどやらなくてすんだ」ということでした。

「飲み過ぎてつぶれたことはあるの?」「1回だけね。それも10年くらい前」。依田さんはあの体ですから、けっこう飲めるのですが、決して飲み過ぎないのです(えらい……)。お酒がおいしくなくなったら、ぴたっと飲むのを止めます。これは何度も目撃しました。私なぞ、飲んだらいけないということもわからなくなって飲んでしまい、次の朝後悔することが多いのですが。食事もサンマの塩焼きや冷や奴といったいたってシンプルなものを好みます。もともとお肉はふだんから食べません。野菜派、お魚派だそうです。

食事が終わると控室に戻ります。控室は夜は娯楽室という名前にかわっていて、将棋や麻雀、アマチュアは碁を楽しんでいます。しばらくみんなの様子を見て、「じゃ、僕は」といって部屋に戻るパターンが続きました。第4局は武宮陽光三段らと麻雀を少しして、私に変わり(私はルールがわかるくらいです)、部屋に帰りました。

名人になった夜は、将棋をやっていました。朝日の記者で将棋の元高校名人(初めて名人戦に同行、囲碁は全くといっていいほどできない)がいて、6枚落ちで挑戦。初手から名人があまりに手つきがよくてびびっていましたが、手つきとはあまりにギャップのある指し手にもびっくりしていました。依田名人、名人となった初手合い(将棋でしたが)は、惨敗に終わりました。

第4局で名人を決めて、私が「福の神」と呼ばれました。毎回「てのひらのつぼ」をマッサージしたかいがありました。朝日内でもそんな話になり、口の悪い人々が明窓庵記者の立場を「まずいんじゃないのお?」と責めていました(もちろん、からかってですよ)。

なゆき

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